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2016年9月15日 (木)

歴代最高F1ドライバーは?

バーニー・エクレストンが考える歴代最高F1ドライバーは?

セナオタだったけど、判らん事もない。
良い言い方をすればチームメイトと切磋琢磨して。
悪い言い方をすれば、チームメイトとイザコザを起こしながらF1を戦ってきたからなぁ。

で、歴代のプロストのライバル・・・・・
もといチームメートを上げてみると・・・・

1980年:ジョン・ワトソン/マクラーレン
新人ながらベテラン相手に予選で13章1敗と大きく勝ち越しているものの、ポイント争いでは1点差でワトソンの勝ち。
しかし、速さが認められ、翌年有力チームのルノーへ移籍(当時のマクラーレンは微妙なチームだった)

1981、1982年:ルネ・アルヌー/ルノー
この母国先輩ドライバーと壮絶な確執をおこしてしまう。
アルヌーが若くて速いプロストに嫉妬した事もあるのだが、結局チームはプロストを取るか?アルヌーを取るか?を迫られプロストを取る事に。
アルヌーはフェラーリへ移籍していく・・・・・

1983年:エディ・チーバー/ルノー
チーバーはアメリカ人ドライバーという事もあって、チームはプロスト中心のチーム体勢へ。
チームメイトからの確執から解放されたプロストは「これでチャンピオンになれる?」と思っただろうが、この年、本人のミスやマシントラブルも重なりチャンピオンを逃す。
母国からボロッカスに叩かれたプロストはマクラーレンに移籍、ついでに住居もスイスに引越し。

1984年、1985年:ニキ・ラウダ/マクラーレン
そう、あの悪夢のような火災アクシデント、そして一度はサーキットから去ったものの(自分の航空会社の運営がやばかったので)帰ってきた、サーキットの鬼、ニキ・ラウダとチームメイトに。
がむしゃらにチャンピオンを目指すプロストに対して、諭す様にクレバーなレース運びを見せるラウダ。
結果、プロストは0.5というありえない僅差でチャンピオンを逃すのだがラウダが言った。

「でも、来年は君がチャンピオンだよ」

その言葉通り、プロストは1986年、初のチャンピオンに輝き、ラウダは弟子の成長を見届けたかのように引退するのであった。

1986年:ケケ・ロズベルグ/マクラーレン
1982年、たった1勝でチャンピオンに輝いたドライバー。
しかし、ケケ・ロズベルグもプロストの、そのクレバーかつ完璧な走りを見て脱帽。
最終戦は、ウイリアムズ・ホンダに乗るマンセル、ピケのペースを撹乱するように、ぶっちぎりの独走態勢を築いたものの、タイヤバーストでリタイヤ。
しかし、そのバーストが、マンセルにも起こり、そしてピケも大事を取ってタイヤ交換した為、終わってみればプロスト、大逆転の2年連続チャンピオン。

1987年:ステファン・ヨハンソン/マクラーレン
この年、プロストは3勝するもののウイリアムズ・ホンダの前に歯が立たず。
翌年の、ホンダエンジンとのジョイントに賭ける事になる。

1988年、1989年:アイルトン・セナ/マクラーレン
ホンダエンジンを獲得したら、史上最大のライバルも来ちゃったでござる。
1988年は、まだ穏やかだったものの、1989年はアルヌーの時以上の激しい確執劇が。
結局、マクラーレンに見切りをつけシーズン中盤で、来期のマクラーレン離脱を発表。
さて、母国エンジンののるウイリアムズ・ルノーにするか、それともF1ドライバーなら一度は憧れるフェラーリに行くか?

1990年:ナイジェル・マンセル/フェラーリ
この2人、もともと仲は良かった。
でもチームメイトになったら、優等生のプロストくんの方にみんなが集まりだして、マンセルが拗ねちゃった(w
で、ポルトガルの幅寄せとかがあったり、鈴鹿1コーナーのアレがあったりと、チャンピオンを逃す。

1991年:ジャン・アレジ/フェラーリ
去年、大活躍した可愛い母国の後輩ドライバーがレースをかき乱してくれ、そして美味しいところを貰うつもりが・・・・・
そんなところじゃなかった。
ウイリアムズ・ルノー大躍進、マクラーレン・ホンダにも遠く及ばず、チーム批判してしまくったら、最終戦を前に解雇・・・・・

1992年:プーの年(言うな)
まあテレビの解説とかしていたんだが、そこで89年のウイリアムズ・ルノーの移籍の話が再度浮上。
問題はチームメイトをどうするか?
プロストは、もう引退を視野に入れている状況なので、セナは絶対にイヤ。
なにが悲しくて、もう一回、セナを同じチームで総力戦しないといけないのか?
マンセルは・・・・・拗ねられた時期もあったが、まあ良いよと。
そしたら、どーしてもプロストに負けたくない=ウイリアムズに乗りたいセナが言った!!

ウイリアムズにノーギャラでも良いから乗りたい!!

そりたらフランク・ウイリアムズは、スケベ心を出した。
チャンピオンになったばっかりのマンセルに対して「セナはノーギャラでも乗りたいといっているよ?、じゃ当然、君も乗りたいのならギャラ下げるよね?」

マンセル怒り爆発!!(そりゃそだろ)
そしてインディーへ・・・・・

結果、ウイリアムズはセカンドドライバーをどうする?という難題を抱える事に・・・・・

1993年:デイモン・ヒル/ウイリアムズ
そこで、テストドライバーだったこの人に白羽の矢が立った。
経験不足、実力を疑問視する声も上がったが・・・・・
デイモンはテストドライバー上がりのドライバーだけにコンピューターを使ったF1の走りを解析するテレメタリーシステムの使い方が上手かった。
テレメタリー参考にしてプロストの走り、テクニックをまねするようになり、徐々に頭角を現しだしたのだ。
シューマッハーやハッキネンなどの新世代のドライバーの活躍するようになり。1994年からはハイテク技術のレギュレーションが禁止されるなど、時代の移り変わりを感じ取ったのか。1993年のポルトガルグランプリで引退を発表するとともに、4回目のチャンピオンを決めたのであった・・・・・

たしかにチームが全面的にバックアップしてチャンピオンになったという年は少ないかも。
むしろ、チームメイトと切磋琢磨して活躍した年の方が、チャンピオンに輝いているケースが多いね。
こう改めてプロストのドライバー人生を振り返ると、ストロングなドライバーだったと思うな。
あとニキ・ラウダの与えた影響が大きいんじゃないかと。
思った事をはっきりと言う、先駆け的なドライバーだったし、振舞い方、安全に関する考えなども多くの影響を受けたんじゃないかと。

そう考えると、ニキ・ラウダこそ最強のドライバーなんじゃね?
と思うのだが、ブラバム(バーニーがオーナーしていたチーム)で色々あったから、やっぱり、ラウダを素直に認められない何かがあるんじゃないかと邪推してしまう・・・・・

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